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2008年08月17日

もう何も怖くない 4年間の思いぶつける

日本経済新聞 2008年(平成20年)8月16日(土)
「極める」より

 十一日、浜口京子(ジャパンビバレッジ)は成田空港から北京に飛び立った。
地元浅草から見送りに駆けつけた応援団の中に、父のアニマル浜口氏の姿はなかった。浜口が「一人で大丈夫」と断ったという。
 ちょうど4年前の同じ日、浜口はアテネに向かう成田にいた。そのときは駆けつけた父の「おれが守ってやる」との言葉に感極まって涙した。

たかが旅立ちの一風景ではある。だが、4年前との違いに30歳になった浜口の変身がみえる。
  
 アテネ五輪からの4年間、浜口は誰よりも濃密で厳しい時間を過ごしてきた。二〇〇五年、〇六年、〇七年と世界選手権は3年続けて敗れた。なかでも最近の2大会は生涯忘れられない記憶として擦り込まれる。

 3年ぶりの世界一奪回をかけた〇六年。決勝で対戦したのはスタンカ・ズラテバ(ブルガリア)。第1ピリオドを簡単に取った浜口を悪夢が襲う。第2ピリオドの開始直後、相手の故意に近い頭突きを食らいマットを鮮血で染めた。
 直行した病院での診断は鼻骨3カ所、ほお骨1カ所の骨折。手術後の1週間は矯正器具で固定して口で息をするだけ。味覚も失った。
我慢強い浜口が耐えきれず泣きわめくほどの痛みだった。

 翌年、さらなる苦難が待ち受けていた。前年の雪辱を期した世界選手権2回戦の相手は再びズラテバ。第2ピリオド、浜口の投げ技にズラテバの体が回ったが、ポイントはなぜかズラテバ。抗議も受け入れられず、返り討ちにあった。

 すぐに国際レスリング連盟(FILA)が誤審を認めたことも、浜口の傷心に塩を塗った。帰国後、自室にとじこもったままの娘に、父は「自殺してしまうのではないか」と本気で心配した。

 「去年は一番つらかった」と浜口は振り返る。強い日本女子レスリングの象徴は吉田沙保里や伊調姉妹に譲り、浜口は「不運」のアイコンとなった。「普通なら辞めている」と父も娘の心中をおもんばかる。

再び立ち上がったのは、それが浜口京子だからとしかいいようがない。

 〇三年以降、一度も世界の頂点に立っていない現実は重い。昨年の世界選手権
は誤審負けのあと、敗者復活戦でフォール負けして6年ぶりにメダルも逃した。
 そんな一切合切を引っくるめて、浜口は「今の自分が一番強い」と言い切る。

くぐり抜けた修羅場が違う。もう何も怖くない。立ちはだかるのは今回もズラテバだろう。浜口との最近2戦は前述の通り、注釈付きの勝利。だが、世界選手権を連覇している実力は本物である。

男子の元世界王者シメオン・ステレフ氏の指導を受けてから「飛行機投げ」などの高度なテクニックを体得している。
 技術を磨いてきたのは浜口も同じだ。ロサンゼルス、バルセロナ両五輪メダリストである赤石光生コーチのマンツーマン指導を受けてきた。欧米選手に負けないパワフルな攻撃レスリングから、チャンスを確実にポイントにつなげる手堅いスタイルに変容しっつある。
片足タックルも大きな武器になった。

 「どんなにガチガチに緊張しても、はっきりと差をつけられるくらい強くなっ
たつもり」。17年に及ぶレスリング人生の総決算。最後は白分で白黒をつける。 (山口大介)
posted by neverever at 17:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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